皆さんこんにちは!黒川です^^
いつもお祈りとご支援をありがとうございます!
最近は聖書研究と子守りと読書の日々を過ごしています。読書と言っても、日本から取り寄せることはできないので、KindleUnlimitedというサービスを利用して電子書籍をダウンロードしています。
私の最初の神学校である東京基督教大学(TCU)に入学時に、もう宣教の道に行くから一般書籍は読まないほうが良いかなと考えていました。そしてそのようにしていました。しかし、そのTCUの授業の中で教わったことが、一生本を読み続けるということでした。教えてくれた先生はワンピースから引用して説教をするので有名な先生ですが(笑)、ご自身がこれまでに何冊本を読んできているか今も尚記録し続けているということでした。
それから私は、宣教の道を歩んでも一般書籍を読んでいいんだ!と知り、大量の本を読み続けています。99%がノンクリスチャンという日本で、日本人が書いた本の中から聖書の真理を見出そうと思っています。その中で見えてきたことは、聖書に書かれていることが一般書籍にたくさん書かれているが、聖書から引用しているという記載は無いということと、神様が一言も出てこないということです。だから読む必要がないかというとそうでもなくて、著者が言っていることに神様は出てこないけれど、著者は聖書の真理を見出して書いている(実際には真理ではなくその内容の表面的なこと)ということが分かるんです。結局、誰も聖書のことを知らないだけなんじゃないかと思うようになっています。
聖書には子育てに関して事細かに書いてあることはありません。聖書に「スマートフォンは小学生に与えるには早すぎる」とか書いてあったらいいんですが、そんなことは書いてありません。「信仰を強要したら形だけになるし、反発の原因になる」とも書いてありません。しかし、一般書籍にはその事細かな子育て法が書いてあります。
信仰継承もそうだな〜 https://t.co/Byt0eU1XG4 pic.twitter.com/K4QlsSVOel
— krojp.com@留学生パパ (@kurokawajapan) July 29, 2020
これは、人間は神の創造した一人格であることだとか、私たちは隣人を愛せよと命令されている。じゃ、その強制は愛から来ているのかどうかなど色々聖書からの気づきが与えられるわけです。また、聖書66巻全体を学ぶこともとても大切だと実感しています。偉大な信仰者が子育てに失敗したり不倫したりという失敗談もたくさん出てくるし、旧約聖書なくして新約聖書はありえないことなど。これって一生やり続けることなんだと今更深く実感したところです。
つまり、私たちクリスチャンは、聖書の真理の土台に立ちながら、この生きている間でどのように考え行動していくかを模索しなければならないということです。そして、その助けになるのが聖書66巻全体の研究(バイブルスタディ)とクリスチャン同士の学び・励まし・祈り合いだと思います。
そんな中、私は今一般書籍を通してある課題にチャレンジしています。それは自分の中にある劣等感です。
クリスチャンになってもなお消えない僕の苦しみは、もしかすると自己肯定感不足だったのかもしれない。との気付きがあったおすすめの書!→加藤隆行の「会社行きたくない」と泣いていた僕が無敵になった理由~人間関係のカギは、自己肯定感にあった~を Amazonでチェック!https://t.co/yiuIL300by
— krojp.com@留学生パパ (@kurokawajapan) August 2, 2020
私は、自分が自尊心・自己肯定感の高い人だと思っていました。しかし、一部高い部分もあればそうでない部分もあることに気づきました。そして、それは今も尚継続して持っているものだということも最近分かりました。
皆さんは私がどのような人だと思っているでしょうか。私は、本当の自分をどこかで隠しながら生きてきたんだと思います。それは、一言でいうと強がってきたということです。クリスチャンになって、罪を知り、イエス様の十字架と復活を信じ、救われて今神様と共に歩むクリスチャンです。そして、今後は宣教の道も志している者です。でも、そんな私でも劣等感という大きな塊が心にあって、それがまだ溶けていないんです。
これだけ素晴らしい、世界最高の恵みを受けとっているのに、心のどこかでまだまだ恵みを求めているんです。
私は、この道を歩むものとして劣等感を手放していきたいと思います。本来の自分に与えられている賜物を信じて、神様に用いられたいと思っています。どこかで仮面をかぶって、強がっている自分と早くおさらばしたいです。
クリスチャンといえども、多くの悩みや苦しみの中にいる人たちがいるのを知っています。牧師・宣教師といえども、みんな同じ人間です。みんな何かを抱えて生きています。私は、その抱えている大きな何かを、本当の意味で手放さなくてはいけないのだと思っています。
だから、強がらずに、等身大の自分でこの宣教の道を進んでいきたいと思います。そして、同じような中を通っている同士たちを励ましたいと思います。まず自分が自分として神様が創造してくださったその丸裸の存在でこれからの人生を歩んでいきたいです。