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教会に新しい人が来たときのふさわしい対応は、自分がその身になるとわかる

皆さんこんにちは!黒川です^^

新来者には愛さん会でおもてなししましょう!

東京を離れてからというもの、毎週異なる教会で礼拝をしています。
初めて行く教会もあるので、その度私たち家族は新来者の気持ちを味わうことが出来ます。これは教会で働いていた身としてはとても感謝すべきことです。日曜日に他の教会へ行くことなど出来ませんから。

新来者として新しい教会に行くと、教会に新しい人が来たときの対応がどのようにあるべきかを学ぶ事ができます。しかし、その対応としてふさわしいことは大体のことが百貨店や一流ホテルなどサービス業界のノウハウでまかなえると感じます。

特にクリスチャンでない方の場合は、賛美はどんなスタイルかとか福音派か聖霊派かとかそんなことはあまり関係が無いというか、そもそも何も知りません。それよりも印象が大事です。そのワンチャンスが全てなのです。
そんな何もわからない状況で、それでも勇気を振り絞って来たということが神様の祝福ですから、百貨店や一流ホテルにも比べられない勢いでおもてなしをする必要があると思います。

 

Kii
Kii

でも、話しかけてほしくない人もいるよね。私みたいに。

Kuro
Kuro

そうだよね。でも、それを察知してあえて話しかけないというのも愛の行動だよね。全てを踏まえておもてなしという意味だよ。

Kii
Kii

なるほど。じゃ、私にもそうしてね。

Kuro
Kuro

はい!

そのように感じながら、韓国に到着してはじめての礼拝に参加しました。
これまで行ったことのない、近所のルーテル教会です。
ルーテル教会自体も初めてでしたので、礼拝のスタイルもこれまで経験の無い部分がありました。しかし、比較的安心して礼拝を受けることができました。その大きな要因はウェルカムの挨拶と案内です。

ウェルカムの挨拶や案内(受付)というのはどの教会でも行われていると思いますが、その賜物をもっている人がやるとそれはとてつもない力を発揮すると感じます。私は人それぞれの賜物が用いられることこそ、神様に喜ばれることだと信じているので、その奉仕を喜んでやる賜物をもっている人を教会は切に祈り願う必要があると感じます。

どれだけ話しかけられたくない人でも、無視はされたくないですし、無愛想よりは愛想が良いほうがいいです。
今回その中で感じたのは、それを担当するスタッフの人数は関係ないということです。人数よりも、賜物をもっているたった一人が必要だと感じます。今回の教会もウェルカムスタッフは一人でした。しかし、私たち家族は、短時間でその方のおもてなし感を心から感じることができ、安心して礼拝に参加することができました。
そして、礼拝後にとても嬉しいことがありました。それは、愛さん会の時に新来者用のテーブルを用意してくださっていたということです。

他の人たちは自分で食事を取りに行きますが、今回の教会は新来者のためのテーブルが用意されており、ビビンバセットが既に礼拝終了後に用意されていました。全ての教会がこのようにできるということでもないかもしれませんが、これはさすがに感動しました。そして、私たち家族のテーブルに牧師先生が座ってくださり、色々お話することができました。
「愛さん会にて」撮影:NOA

私達家族は、愛さん会に参加せず、アメリカへ行く日の最後の礼拝も他の教会に行く予定でしたが、再度この教会に行くということに決めました。

話しかけてほしくない、誘ってほしくないという気持ちの先には、話しかけてほしい、誘ってほしいという裏の気持ちがあるかもしれません。そして実際、愛さん会に参加してよかったと感じました。これは、教会側があと一歩勇気を振り絞って誘ってみる必要があるという学びにもなりました。

礼拝という縦の関係の延長線上に、愛さん会という横の関係があるのだと知ることが出来た機会でした。

入り口のウェルカム、出口の愛さん会、礼拝を挟むその前後は、神様が私たちに愛の実践の場として用意してくださっているのかもしれません。

 

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