皆さんこんにちは!黒川です^^
いつもお祈りとご支援をありがとうございます。
間もなく留学から一年が経とうとしています。驚くほど、時間の流れを早く感じます。長かった夏休みも終わりに差し掛かりました。アメリカに来てから一度も旅行という旅行に行けず、基本的に学校の敷地内から出て過ごすことが殆どない一年を過ごしてきました。
昨日、アメリカに来てから初めて家族で遠出をしてみました。家族と言っても、あと一組の家族に誘われて、その家族の車に乗せてもらって行ってきました。ここから車で1時間半ほどの距離にあるTyler state parkという州立公園です。
ここで人生で初めて湖で泳ぐ体験をしました。湖は流れが無いのですごく安全だと感じました。プールと異なる点は、魚が泳いでいることです。波も流れも無く、そして自然の中で泳ぐことができるという、プールと海川の良い点を兼ね備えています。
私はミニストリーのキャンプを企画することは得意でも、家族でどこかに出かけたり、旅行を計画するのが苦手で家族には申し訳ない気持ちでいました。これまでも、計画を立てて旅行をしたという経験がほとんどありません。だから、そのようなことがまめなお父さんたちに憧れます。キャンプとか釣りとか、ただ観光をしに遠出をするとかそんなことを出来るようになりたいです。
そんな留学後初めての旅行先で日本人と出会いました。普段私たちが住んでいるダラスのオーククリフ周辺で日本人を見ることはありません。この一年で一度も見たことがありません。なので、私たちにとって日本人はとてもレアな存在になっています。
もちろんこの旅行で日本人に会うことなんて期待もしていないわけですが、たまたま同じ日にTyler state parkに来ている日本人家族がいたんです。初めとてもうれしくて話しかけようかと思ったのですが、タイミングを失って話しかけないまま時間が過ぎました。例えるなら、電車で席を譲ろうとしたけれどタイミングを失って、譲りたいのに譲れないそんな気持ちです。アメリカに来てかなり訓練されているはずの恥ずかしさや、拒否されたときの恐怖の克服にはまだ至っていないようです。
午前から午後まで遊び、その家族も帰る支度を初めた様子。私は3秒だけ心で祈りました。もし神様の御心でしたら、話せるように接触の機会を与えて下さい。そうして更衣室兼トイレに私は用をたしに行きました。するとちょうど目の前にその家族のお父さんが立っていました。帰るために更衣室で着替えを終えた後でした。
私はすかさず、「日本人ですよね?」と会話を初め、短い時間でしたがお互いのことを紹介しました。彼は昨年駐在員としてテキサスに家族で来て、今はコロナでリモートワークをしてるとのことでした。最終的にFacebookで友達になりました。彼らはそこから更に2時間以上離れた場所に住んでいるということで、アメリカにいる間で会うことはほぼ無いかもしれませんが、もしかしたらこの先の人生で再び会えるときが来るかもしれません。このブログを読んでドン引きするか、嬉しいと思ってくれるか分からないのですが、この恵みを皆さんと分かち合えたらと思ってシェアしました。
私は最近、経営者の失敗の書籍を読んでいます。その中で感じることは、人は出会いによって大きく変わるということです。人の出会いとは不思議です。そもそも存在から言えば、父母や祖父母がいなければ自分はいないわけですし、あの日あの時あの場所に自分がいなければ会えなかったという人がたくさんいます。その中には、会いたくも無かったと思う人もいるかもしれません。良いも悪いも出会いによって人生が大きく変わるということです。
私たちは、自動的に神様と出会うことが出来るならば宣教は自動で進んでいきます。しかし、神様はそのようにはされませんでした。私たちに命や自然を通して関わりをもたれながら、私たち人にその役目を与えられておられるのです。つまり、福音は人を通してでなければ伝わらないということです。
自分に出会わされる人がどのような人で、どんな影響が自分に与えられるのかということに意識することはもちろんのこと、逆に、出会う相手に自分はどんな影響を与えるのかということも意識しなければなりません。
最近読んだ本で、とても感銘を受けたものがあります。
ある日突然40億円の借金を背負う――それでも人生はなんとかなる。
キリンビールで海外を飛び回るエリートサラリーマンが、ある日父親の急逝と同時に父の経営している会社の借金40億円を背負い、なんと全額返済したというノンフィクションです。
人生本当に色々だなと感じます。とにかく、後から後から苦難がこの著者に降りかかります。彼はクリスチャンではないので、神様に頼ることはできません。八方塞がりの絶体絶命。私だったら自己破産か自殺を選択してしまうような状況です。それでも、人生がなんとかなったという結果になるのですが。この一人の人生を見ても、そこに神様の愛が人には与えられているということと、罪が人にはあるということが見えてきます。
書籍の最後の部分に、著者は宇宙のことを書いています。読者に対して宇宙に思いを馳せることを勧めています。これは、まさしく聖書に書かれている創造主の視点だろうなと感じます。人生を本気で突き詰めると結局神様にたどり着くのだと私は仮説しています。ただし、ここからニューエイジやカルト、様々な関連ビジネスがはびこっていて、福音という真理にたどり着くには日本では至難の業だと思います。なにせ、99.5%はクリスチャンではないですから。
彼がもし、その時にクリスチャンの人に出会い、福音に触れるチャンスがあったならばどうだったのだろうかとも考えます。
彼は、これらの困難が再びあってほしいとは願わないでしょう。しかし、今の自分があるのはあの苦難があったからだったと、今となっては感謝していることでしょう。苦難とはそのようなものなのだと思います。
「なぜ自分にこんな不幸なことがあるんですか!神様!」と人生に絶望を見るときがあります。なぜ人に苦難や絶望の状況があるのか直接の回答は得られませんが、その出来事自体が、神様があなたを愛していない理由にはなりません。神様は私たちを、あなたを愛しておられるのです。それは真理であり変わらない事実なんです。
クリスチャンであろうとなかろうと、人生には素晴らしいことも苦難もありとあらゆることがあります。そして、自分の人生は自分しか生きられません。それは、唯一の創造主なる神様が、後にも先にも唯一の存在であるあなたを創造したのです。それはあなたを愛しているからです。理由はなくあなたはあなただから神様はあなたを愛しておられるのです。そこにあなた以外の条件は一切ありません。
クリスチャンの証しを聞くと、苦難を通ってクリスチャンになった人が割合としてかなり多いです。ただし、その条件が一つあります。それは、それ以前にか同時に他のクリスチャンに出会っているということです。稀に教会に直接行くという人もいますが、結果的にはクリスチャンという人を通して福音が伝えられ、人はクリスチャンになっていくということです。
だから、救いは出会いによってもたらされるということです。そして、2020年、それはオンライン上でも行われているんです。情報が溢れかえって、カルトも成功論もスピリチュアルもありとあらゆるものが福音と共にごちゃまぜになっている世の中です。特に日本は99%の人がそちらの方を信仰しています。
その時代に生きる私たちは、オフラインとオンラインの世界の中でどのような出会いをし、その出会いをどのように活かすべきでしょうか。私たちが人と出会う時、少しでも神様の栄光が現れるようになりたいものです。また、全ての出逢いを神様がもたらして、果たすべき役割に忠実に歩んでいきたいものです。
私のオプションの人生も8年となりました。オプションの人生がどれだけ与えられるのか分からないのですが、これからの人生、特に出会いを大切に歩んでいきたいと思います。